▼西覚寺 沿革

・大正初頭   

この安城の地に本願寺派の寺院・説教所もなく、
数キロ先の本願寺派の寺院まで歩いて
お参りに行かれており、その設立は
門信徒のまことに期するところであった。

 

・大正七年

三井円昭を開山とし、
幸田圓宗寺住職千賀晃耀師(円昭の長男)、
また、この地の門信徒七名の方の献身的な努力の末、
今より少し西側、川向うに道場を開くに至る。

 

・大正十四年 

三井円昭往生。円昭の長男、圓宗寺住職千賀晃耀が主管となる。
(第二世・代務)

 

・昭和二年

圓宗寺所属の説教所『安城教会』として、正式に認められる。

 

・昭和五年

河野宗円寺より本堂を買い受け、
現在の場所にいまの本堂が建立される。

 

・昭和十七年

三井円昭の次男 三井法霖が安城教会の主管となる。
(第三世)

 

・昭和二十五年

本山・本願寺より下付を受け、『西覚寺』を公称する。

 

・昭和六十一年

三井法霖往生。三井義文(第四世)が住職となる。

 

・平成二十九年

三井求、西覚寺住職を継職する。(第五世)

安城市にある浄土真宗本願寺派(西本願寺・お西)のお寺です。知立市・刈谷市・豊田市などへも伺ってます。